“はい。……ああいうのって慣れないですね。人間、〈さようなら〉に対して学習できないようになってるんですかね? 脱退だけじゃなくて”
GEZANマヒトゥ・ザ・ピーポーが語る、Million Wish Collectiveとの『あのち』で向き合った共同体の問題と可能性 | Mikiki
“はい。……ああいうのって慣れないですね。人間、〈さようなら〉に対して学習できないようになってるんですかね? 脱退だけじゃなくて”
GEZANマヒトゥ・ザ・ピーポーが語る、Million Wish Collectiveとの『あのち』で向き合った共同体の問題と可能性 | Mikiki
“どんな作品でも書くことは苦しい。しかし歯を食いしばって書き進めるうちに、自分でも思いも寄らなかった〈発見〉が必ずあるのだ。それはテーマであったり、人物の内面であったり、作品によってさまざまだ。ときには己自身の醜悪な姿であったりもする。
そうした未知の〈何か〉を筆の先で掘り出したとき、作家は至福の時を迎える。往々にしてそれは他者にとっては単なる石ころでしかなかったりもするのだが、そんなことはどうでもいい。作家はその収穫を自らのうちに蓄え、次の作品に着手する。その繰り返しである。そしてその行為に、終着点などないことも最初から分かっている。
”
“社会とはメカニズムでなく有機体だと考えているし、革命とは芸術概念であって現実世界で実行すると必ず失敗すると思っている。左翼とは言えない。”
“数年前の私は、インタビューなどでよく「現実に肩を叩かれる」というフレーズを使いました。 それは、本を書き上げ刊行した直後に、その内容を現実化したような事態が頻繁に起こっていたからです。 (『未亡旅団』直後の「黒い未亡人」然り、『狼眼殺手』直後の量子コンピューター然り、読者の皆様には改めて例を挙げるまでもないでしょう) しかし、かなり以前から私はそんなフレーズを使っていません。 なぜなら、現実はとっくに私を追い越しているからです。 我々の日常がこのようなものに変容しようとは一体誰が予想し得たでしょうか。 (それは、新型コロナウィルスだけのことではありません。国際情勢と政治全般、テクノロジーの進化、そういったものすべてを含みます) こういうとき、作家は前を見ます。 ひたすらに前を見て書き続けます。 また己自身をも常に見つめていなければ、良い作品など書けるはずもありません。”
“略奪は「暴力的であり、政治的機能がない」という不明瞭なイデオロギー は、支配階級によって丹念につくりあげられ、主張されてきたものである。この主張こそが、支配階級の権力の源そして極みである所有権を、暴力的に存続させているのだ。略奪行為が富裕層にとって極めて危険な行為なのは、略奪を目撃する者たちに、直観的に、「私有財産」とは何なのかを気づかせるからである。それは、国家による致死的武力の行使に支えられた、内容が乏しく不確かな単なる構造でしかないのだ。暴動によって獲得された空間で人々が略奪するとき、警察が居なくなったそのテリトリーで、「所有する/される」というコンセプトが破壊され、タダでモノが手に入る、という構造の正体がいとも的確にあらわになる。
もう少し具体的にいうと、略奪は実用的にも戦略としても役に立つのだ。略奪に疑念をもつ人はたいてい、「略奪者はここぞとばかりに、わがままに、過度に振る舞っている」と疑うこともなく信じている。しかし、この機会を利用して自分の生活状況を改善し、くらしを楽にすることのどこがいけないのだろう?ハナ・ブラックはツイッターでこうつぶやいている。「警察っていうのは、みんなが略奪をできなくするため、つまり、立派なものをタダで手に入れられないようにするために存在している。だから警察に対して抗議する時に略奪することになんでこんなに混乱するの人がいるのかわかんない。」立派なものを無償で手に入れることが不道徳だと信じる場合、そして現在の所有権の制度(白人至上主義であり、移住者による植民地主義である)が正しいと思える場合にのみ、略奪はいけない、などと道徳的なことをのべることができるだろう。
さらに、「有色人種はどん欲で怠け者だ」とほのめかしながら略奪の話しを展開する人がいるが、実際はその正反対だということに気づくべきだ。略奪することとはとりかえしのつかない結果をまねきかねない、苦労と危険を伴う行為なのだ。そのうえ略奪者たちが襲うのは、せいぜい裕福な所有者の黒字に含まれるものだけ。特にファーガソンの「クイックトリップ」などのチェーン店の所有者たちは、1週間のうちひとりあたり40時間という時間を何千人もの従業員から盗み、その従業員はというと、せいぜい1週間命をつなぐかつなげないか程度の稼ぎしかもらえないのだ。
そして「略奪者は盗んだものを独り占めしている」という推測も上に書いたことと同じぐらいレイシストで、空論だ。貧しいコミュニティーや有色人種コミュニティーは裕福な白人コミュニティーよりも多くの相互扶助や生活支援を実施している。もっとも、そうすることが必要だからである。略奪をしている人は、例えば、毎日生きるだけでギリギリな人かもしれないし、1週間のうち1日を略奪に使うことによって残りの6日間は働かずに「非暴力」抗議活動に参加できるかもしれない。さらに、自分の家族を養ったり、近所に住む老人を世話しなければいけない人かもしれないし、その老人は自分で働いたり略奪したりできるわけもなく、生活保護に頼るしかない人かもしれない。略奪者によっては、普段は自分では買わないもの(高価な酒など)を奪っているのかもしれないが、物を盗むことで、賃金労働を通して日々の生活をつなぐことよりも直接的で即効的にくらしの困難を解決する方法を提供し、それが物理的にコミュニティーを支援している、といえるのではないだろうか。
近代のアメリカにおける警察力は、逃亡をはかる奴隷を監視するところ、つまり奴隷所有者の所有物がなくならないようにすることから進化したものである。言い換えるならば、アメリカの警察の歴史は、 黒人による脅威を暴力的に防ぐことで守られてきた白人の所有権の歴史である。警察の暴力に反対するデモで略奪が起きるとき、略奪者たちはデモの政治的機能を無視しているのではなく、警察の暴力というテーマから話をそらしているわけでもなく、いつもレイシストな記事を書く用意ができているマスメディアを煽っているわけではない。略奪者たちは、警察、私有権、そして白人至上主義という、問題の本質に真っすぐに向かっているのである。
”
“物理学者は、決着のつく論争をやりたいのである。できれば実験で決着を着けたい。直接実験が難しければ、間接的な観察証拠を積み上げるか、数学的にぬかりのない論理で証明するかしたい。主義・主張の言い放しはしたくないのである。
哲学が対立する複数の「○○主義」をいつまでも抱えているのは、白黒決着をつける方法論が哲学自体の中にないからだ、と私は見ている。哲学者たちは決着に関心がないのではないか、もっと言うと、永遠に決着を着けたくないと思っているのではないか、 と私は邪推してしまうほどである。 科学の 知識を使えば 、少なくともこの説とこの説は ただちに つぶせるのに、と思う場面もあるが、哲学者は科学の力を借りようとしない。
なぜなら、科学は絶対的真理ではない、疑問の余地がある、科学の方法論は論理的に正当化されていない、ということを哲学者は知っているからだ。結果的に、現代物理学者の目から見れば間抜けな説としか言いようのない現在主義でも心身二元論でも、哲学の世界では生き残っている。そういうのを過去の蓄積と言うのか。私にはゾンビの群れに見えるが。
物理学者がリアリスティックなことを問い詰めると、哲学者は「これは形而上学の問題であって経験的方法ではわからない」などと言い出す。「形而上学」は哲学者の切り札である。哲学者が「科学では問題とされないことでも、形而上学的には意味のある問題である」と言うのは、「科学者はそんなことは解決済みだとか検証不可能だと言うけ れども、オレの気は済んでいない」と言うのと同義だと解釈すると私にも意味がわかるようになった。なるほどこれではいつまで経っても問題解決には至らないだろう。
”
『一物理学者が観た哲学』4.5 哲学者と物理学者の相違点 公開ページ
“――この50年、得たものと失ったものがあって、これからも選ばなきゃいけないってことに自覚的になった方がいいということですか。
「自分が一番大切にしたいものは何か」というふうに考えたほうがいいとは思いますね。たとえば引退したご老人が、平穏で静かな生活を守りたいので近くに公園ができてジャングルジムができるのは困るというなら、それと引き換えに社会が少子化するのはそのつもりでいてください、ということです。
私は基本的には、そう単純に言えないこともあると思うけれども、結局は社会の多数派の意思が、社会のありかたを決めていると思っています。現状および未来は、「あなたがたが望んでいるように」なっている。「こんなはずではない」っていうのは、よく解きほぐしてみると「あなたがたが望んだことです」としか言いようがないことが多いです。
”
“2000年代のはじめ、自分が一番syrup16gを熱心に聴いていた10代の頃は、なぜ自分がこのバンドに惹かれているのかはわからなかったが、身の周りにあるすべてが退屈で、大嫌いで、くだらない自意識に雁字搦めになりながらも「とにかく、この世界から飛び出してしまい」という衝動を抱えながら鬱鬱と日々を過ごしていた、当時の自分の気持ちをすっぽりと収めることができるポケットのような存在がsyrup16gの音楽だったのだろう。「こんなにも傷だらけの歌をうたう大人がいる」という事実が、なによりの希望であり、彼らに対する信頼の種だった。当時は、テレビのニュースをつければ、同時多発テロを発端に戦争に乗り出していくアメリカの姿や、あるいは小泉純一郎やホリエモンの顔が頻繁に映し出されていた(こういう状況は、今と少し似ているかもしれない)。別に社会派な子供でもなかったが、10代は10代なりに、世界を感じ取りながら生きているのだ。あの頃の僕は、syrup16gの音楽を聴きながら、孤独で無力で平等な、このポケットの中にいたいと思っていた。人生はピカピカのプラモデルではなく、人生は人生でしかないということを教えてくれる大人が、syrup16gだった。”
syrup16gの音楽には乾いたユーモアがある 過去作品配信解禁を機に考えるバンドの魅力 - Real Sound|リアルサウンド
“病院はない、医者はいない、薬はほとんどない。多くの女性が出産の際の合併症で亡くなっている。子どもたちは、ちょっとしたインフルエンザのような病気でも死んでしまう。こうした過酷な土地では死も生活の一部ではあるが、一つ一つの死が非常に鋭い痛みとして感じられる。”